吹きガラス独特のなめらかな艶とデザイン性の高さが人気を集める当社の「肥前びーどろ」は、特別な日だけでなく、日頃から食卓に並べて使える手軽さが大きな魅力です。こちらでは、そんな吹きガラスの歴史について見ていきたいと思います。
吹きガラスのはじまりは諸説ありますが、紀元前1世紀頃にフェニキアのガラス職人が開発したという説が有名です。
型にガラスを流し込むのではなく、溶解炉などで高温融解したガラスを鉄パイプに巻き取り、口で空気を吹き込んで作るため「吹きガラス」という名前になりました。ガラスをまるで風船のようにふくらませて成型するこの技法は、現在もなお世界中で受け継がれているガラス製造技法の基本となっています。この技法が生まれたことによって薄いガラスが作れるようになり、形や装飾の幅もぐんと広がりました。
当時はガラスといっても今のように透明なものではなく、厚みがあり透明度も低いものでした。それが吹きガラス技法の開発により、薄くて光を通すほどの透明性を持つようになります。ガラスを溶かす窯が進化し、より高温でガラスを作れるようになると、ガラス内の気泡や不純物が少なくなり、さらに透明なガラスへと近づいていきました。
紀元前後頃~5世紀頃、吹きガラスの技法を確立したローマ帝国は、当時広大な領土を持ち、そして広範囲にわたり貿易を行っていたため、その技術は北欧や東欧、地中海地方、インドや西アジアにまで広がっていったとされています。
その後、吹きガラスの技法と様々な伝統技法が組み合わされたことから、ヨーロッパの「ローマン・ガラス」や「ヴェネチアン・ガラス」、西アジアの「ササン・ガラス」、「イスラム・ガラス」など、各地域特有のガラスがたくさん生まれていったのです。
日本に最初の西欧ガラスとして伝わったのは、1549年ポルトガルの宣教師フランシスコ・ザビエルが日本に持ち込んだ遠メガネやガラスの鏡でした。そして鎖国時代にはポルトガルだけでなく、オランダやイギリスからも様々なガラス器が持ち込まれ、「ビードロ」や「ギヤマン」と呼ばれ人々から珍重されました。
1570年代になると、日本にもガラス製造法が伝わり、風鈴や徳利といったガラス細工が盛んに行われるようになっていきました。
肥前びーどろでは、江戸末期からの伝統である宙吹き技法「ジャッパン吹き」を守りながら、「肥前かんびん」や「藍色ちろり」を作り続けています。なめらかな肌合いの肥前びーどろは、特別な日のプレゼントとしてもおすすめです。通販サイトにてロックグラスやオシャレグラス、食器や花器など数多くの吹きガラス商品をご紹介していますので、ぜひ様々なシーンのギフトにお選び下さい。通販でのお買い物もラッピングは無料となっております。